戦争とわたし
私は「戦争を知らないこどもたち」ですが、今となっては子供時代はまだまだ「戦後」をやっと抜け出そうと動き始めたころだったのでは…と思います。
両親は戦時中の記憶はあり、終戦後に米兵にチョコをもらった話などを聞いたことがあります。
昔は祖母の「本家」と呼ばれる家に行くと、広い仏間にズラリと日本兵の写真がありました。
出征して戦争から帰ってこられなかった人達の写真です。思えばみんな若い写真でした。
「みんな戦争に取られで逝ってしまったじゃ」
「あの端の息子は秀才でな、いつか博士になるごったって言われでなあ」
「どれも立派な若いのだったがな。惜しがったが昔は仕方ねがったもんな。戦争だば仕方ねがった」
集まるとみんなでそんな思出話をしていました。
ほんの少し、自分と縁のある人達。
戦争で、亡くなってしまった。故郷に帰ることなく。
子供ながらに悲しいことだと感じました。
私は知っている親族…祖父母、おじおばなどには戦死した人はいないと思っていました。
昨年ふと母に、うちは戦死した方っていないもんねぇ。と話した時、母の姉の子が生後半年で亡くなっていると聞かされました。
戦死…ではないのですが。
母と母の姉(おば)は20才以上年齢が離れていて、おばの息子…私の従兄弟になるのですが…は母と年が近く弟のような存在だったようです。
遠く離れて住んでいるので従兄弟たちに会うことはなく、話したこともほとんどないのですが、小さい頃からそこは長男次男の二人兄弟と思っていました。
実際は生後半年で亡くなった長男がいて三人兄弟だったというのです。
長男は、戦時中の防空壕で怪我を負い手当てをしてもらえず亡くなった…と母が話していた気がします。
じっくり聞いたわけではなく、話し途中で終ってしまったので詳しく聞けていませんが。
従兄弟。
知らなかった。
そんな小さい命が。
私と少し同じ血がながれた子が。
おばからも一度も聞いたことがなかった。
戦時中の話は何度も聞いたことがあるのに。
もっと早く知っておきたかった。
半年しかこの世で生きることができなかったのに、いとこの私が存在さえ知らなかったなんて。
ごめんね。
知って良かった。生まれてきたこと、戦争で命を落としたことを私が知っていることで少しでも供養になるのでは、と思っています。
会うことはなかったけど、今度生まれ変わったらまたなんらかの形で縁があるのでは…
と考えずにはいられません。
おばは今年始め亡くなりました。
お母さんに、会えたね…
いつか、会いましょう。いつかの人生で。